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福井県南越前町の河野観光協会より、春夏秋冬各種お知らせやイベントなどを発信していきます。

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河野ってどんなまち?

河野ってどんなまち?

透き通る海、語りかける歴史、とれたて海の幸で河野を丸ごと満喫しよう

 かつて廻船を生業としていた南越前町河野には、広大な海の近くに北前船の五大船主の一つとして数えられた右近家や国の重要文化財に指定されている中村家等の建物が今もなお現存する「河野北前船主通り」があります。ここには往時の繁栄を色濃く残す独特の空間が残っており、当時の勢いを肌で感じることができる建物が並びます。
また近隣の民宿やお食事処では海の幸がいっぱいの海鮮丼「浜の活丼」や御膳を味わえます。海を見ながら歴史に思いをはせ、さあ、タイムスリップ!

河野の歴史

 南越前町河野は越前海岸の南端、敦賀湾のほぼ入口に位置し、古くから府中(現在の越前市)と敦賀を結ぶ海陸の中継地として栄え、河野・敦賀間の船稼ぎに従事していました。17世紀後半、敦賀湊には近江商人が荷所船(チャーター船)を共同で雇い、北海道の産物を廻漕していました。河野・敦賀間を廻漕していた河野の船はこのような地理的条件から、敦賀湊で近江商人の荷所船の船主や船頭として活躍するようになります。

 江戸時代の半ば過ぎ、商品流通の発展にともない日本海海運は飛躍的に発展を迎えました。荷所船として運賃積を行っていた廻船も買積み商いの比率を徐々に高めるようになっていったのです。鰊肥料の需要の拡大と商品価格の地域差を利用して、北前船の買積み商いは活況を呈しました。船主達はこのチャンスを生かして大海原に進出していきます。また、明治維新後の北海道開拓用の物資運搬にも大活躍し、近代日本形成の大きな力となりました。こうした活躍により、幕末から明治時代にかけて日本海沿岸有数の北前船主を輩出しました。