img img

福井県南越前町の河野観光協会より、春夏秋冬各種お知らせやイベントなどを発信していきます。

Menu

北前船の歴史

北前船の歴史

 北前船は、江戸時代中期から明治にかけて大阪を起点に、瀬戸内海、日本海を経て北上し、終点の蝦夷地(北海道)に至る各港々で物産を仕入れ、売り捌きながら(買積商法)往復した貿易廻船です。

 その「北前」の語源は、色々な説がありますが、下関や瀬戸内海の人達は、日本海の山陰や北陸、東北方面を「北の前」と呼んでいたらしく、そこから入船して来る船であるから北前船と名付けたと言うのが定説になっています。

 現在日本海側は、裏日本と言われていますが、古くは表日本であった。その事から「前」は「表」を顕わしている語源ではなかろうかと考えるのです。

 「北前船」の呼称は、近年定着化して来ているが、昔から地元では、北前船とは呼んでいなかった。北陸地方でも、その呼び名は色々で、「バイ船」・「ドウバラカキ」・「ホマエ」・「センゴクブネ」などと呼ばれていた。河野浦の廻船文書を調べて見ても、北国船・ハガセ船・弁才船と、船形で記されているが、北前船なる言葉を発見することはできないのです。

 江戸時代の錦絵が、現代になって、浮世絵と言われる様になってしまった様に、時代によって変化するのであろう。どこの北前船研究会でも、質問の最初は、北前船の呼称から始まる。なぜ「北前船」と呼ぶのか?何も口角沫を飛ばして論ずることもなかろうと思うが、そうも行かないのである。それ故に北前船は面白いのかもしれない。

 こんな疑問を初めとして、北前船には、わからないことが多くある。発音の仕方も「きたまえぶね」か「きたまえせん」なのか。「ぶね」と呼ぶ人、「せん」という人。人間集団化すると何でも統一したくなる。その地方で「ぶね」と言ってきた人、「せん」と言ってきた人、それは伝承されてきたからであろうと思うのである。ちなみに、現在は「ぶね」が主流になって来た。それなら「ほまえせん(帆前船)」を「ほまえぶね」と言うのか?「ほまえせん」だと、へそ曲がりの頑固者もいるので、ますます面白くなってくる。

 母なる海へ乗り出した北前船には魅力と、ロマンがある。北前船魂を若者に伝え、地域起こしに繋いで、環日本海時代を実現しなければならないと思うのである。

「北前船の七不思議 ー船主集落河野から発信・48コラムーより」